©Yosuke Hori
ヴェネツィアはイタリア北東部のアドリア海に面した街で、「アドリア海の女王」、「水の都」などの別名で知られています。
かつて、7世紀末から1000年以上にもわたってその名を地中海、そして世界に轟かせた海洋国家「ヴェネツィア共和国 Serenìsima Repùblica de Venexia」の中心でもありました。
「ヴェネツィア本島」と呼ばれる部分はアドリア海にあるヴェネツィア湾の潟(ラグーナ Laguna)の上に島として築かれています。その中に大小約150の運河(カナーレ Canale)が縦横無尽に走り、この島をさらに177の島に分けています。内部は細い路地しかないため自動車が入ることができず、入り組んだ迷路のような街並が続いています。島の真ん中には蛇行した全長3キロの大運河、カナル・グランデ(Canal Grande)が流れ、多くの船が人や物資の運搬のため行き交っています。
島全体の海抜が1メートル〜4メートルしかなく、大潮や気象条件によってアクア・アルタ(Acqua Alta)と呼ばれる現象がしばしば起こり、日本でもニュースなどで紹介されることがあります。これが起こるとサン・マルコ広場など特に低い場所は完全に水没してしまいます。この場合は木製の足場などが組まれるので歩く事は一応できるようにはされますが、かなり細い板なので注意が必要です。また、地球温暖化による海面上昇や島全体の地盤沈下(地下水の過剰汲み上げなどが原因)によって、島全体がいずれ沈んでしまうのではないかという懸念もあります。
日本では「ベニス」、「ベネチア」など様々な呼び方がありますが、ブオナツアーズではイタリア語発音にできるだけ忠実になるよう「ヴェネツィア」と呼称します。
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ヴェネツィアの空港は市街地のある島部分ではなく、本土側の少し北にヴェネツィア・マルコポーロ(テッセラ)空港 Aeroporto di Venezia Marco Polo (Tessera)があります。2014年〜15年の短期間だけアリタリア航空の成田〜ヴェネツィア便が運航された時期がありましたが残念ながら運休となってしまったため現在日本との直行便はありませんが、アリタリア航空(ローマ経由)、ルフトハンザ航空(フランクフルト、ミュンヘン経由)、エミレーツ航空(ドバイ経由)など就航している航空会社は多く、同日着も問題なく可能です。
マルコポーロ空港〜本島のアクセスはバス、タクシー、ヴァポレット(水上バス)、モトスカーフィ(水上タクシー)などを利用します。
本島内は自動車の乗り入れが禁止されているため、バス・タクシーは本土と本島を繋ぐ橋のたもとにあるローマ広場(Piazzale Roma)までしか利用できません。リアルト橋やサンマルコ広場周辺へ行く場合はここからさらにヴァポレット(水上バス)かモトスカーフィ(水上タクシー)を利用する必要があります。
バスはATVO社とACTV(ヴェネツィア市内交通)の2社が運行していて、どちらも15分〜30分おきに1本の割合で運行しています。早朝から深夜まで運行しているので、ローマ広場やサンタルチア駅周辺と空港間の移動には船よりもこちらのほうが便利。
ヴァポレット(ALILAGUNA社運行)はA線(空港〜リアルト橋〜ジリオ〜サンマルコ・ジャルディネッティ)、B線・R線(空港〜リド島)があります。リアルト橋やサンマルコ広場周辺へはバスよりもこちらのほうが便利です。
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鉄道でヴェネツィアに入る場合、まず注意する必要があることがあります。
ミラノやローマ、フィレンツェなどを含めてヴェネツィア本島へ入る列車は、ヴェネツィア・メストレ駅 Venezia Mestreとヴェネツィア・サンタルチア駅 Venezia Santa Luciaに停車します。本島にある駅はサンタルチア駅のほうなので、メストレ駅で間違えて降りないように注意が必要。
メストレ駅を出ると列車は長い橋を渡ってヴェネツィア本島へと入っていきます。サンタルチア駅はミラノ中央駅やローマ・テルミニ駅に比べると規模はさほど大きくありませんが、行き止まり式のターミナル駅になっています。正面出口から出ると目の前に運河があり、左手正面の橋の手前にリアルト橋・サンマルコ広場へ向かうヴァポレット(水上バス)の乗り場があります。空港バスの発着するローマ広場は駅を出て右方向に徒歩3〜4分ほど。
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ヴェネツィアの市内交通は水の都だけにイタリアの他の街とは少し勝手が違います。ヴェネツィア本島と周辺の島で利用できる交通機関はヴァポレット(Vaporetto・水上バス)とモトスカーフィ(Motoscafi・水上タクシー)の2つ。
ヴェネツィアの移動で最も重宝するヴァポレットはACTV(ヴェネツィア市内交通)が運行する水上バスで、本島内の移動だけでなく周辺の島への移動にも重要な足となります。実際、本島内はヴァポレットが運行できるような水路はカナル・グランデと外周のみで、本島内の路線も基本的には「本島〜周辺の島」の設定になっていることがほとんどです。
利用価値が高いのは1番(各駅停車:ローマ広場〜サンタルチア駅〜リアルト橋〜サンマルコ広場/サンザッカリア〜リド島)、2番(急行:サンマルコ広場〜リアルト橋〜サンタルチア駅〜ローマ広場〜トロンチェット島〜ジュデッカ島〜サンマルコ広場の環状線)、3番(各駅停車:ローマ広場〜サンタルチア駅〜ムラーノ島)など。
チケットは各乗り場やタバッキ(タバコ屋)で購入可能ですが、75分間有効の1回券(BIGLIETTO NAVIGAZIONE 75 MINUTI)は7.50ユーロとなかなかのお値段がするので要注意。1日券(BIGLIETTO 1 GIORNO)は20ユーロ、2日券(BIGLIETTO 2 GIORNI)は30ユーロと比較的元は取りやすいのでこちらがオススメ。
モトスカーフィはモーターボートがタクシーになっているもので、料金は普通のタクシーに比べると割高ですが、ヴァポレットの入ることのできない路地のような水路などにも入り込めるのがウリ。初乗り料金は9ユーロで、時間制で料金が追加されていきます。行き先を告げると交渉に持ち込んでくるドライバーもいますが、言葉と地理に自信がない場合は避けたほうが無難です。
Photo Credit: Curtis Perry, size and trim modification applied.
イタリア数ある広場の中でも別格の広さと美しさから「世界で最も美しい広場」とも呼ばれるサン・マルコ広場。
かのナポレオンはこの広場を「ヨーロッパ最高の応接間」と評したといいます。回廊のある建物で囲まれていて、奥行きを出すために広場は長方形ではなく台形になっています。ドゥカーレ宮殿やサンマルコ寺院など主要な見どころもこの広場にあるので、ヴェネツィアを訪れる旅行者は必ず訪れる場所です。広場に面してテラス席を出しているカフェ、フローリアン(Caffe Florian)はカフェラテを世界で初めて出したカフェとしても有名で、1720年からこの同じ場所で営業しています。
鳩がやたらと多いので(若干詐欺の)パンくず売りや大道芸人、絵かきなども多く常に賑わいをみせています。カーニヴァル(カルネヴァーレ)の時期には独特のマスクで仮装した人々が集まり、独特の雰囲気を醸し出しています。
サンマルコ広場に建つ、ビザンティン様式とロマネスクなどが融合した聖堂。
当初は828年に聖マルコの遺骸が運ばれてきたことを記念して建てられた聖堂が基となって、1090年ごろに完成したものです。その後900年に渡り改修が繰り返されて現在のような様式が折衷した建築になったとされています。
コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)にあった聖十二使徒聖堂を模して設計されたもので、正面上部に設置されている4頭の馬の像は1204年の十字軍遠征時にコンスタンティノープルから持ち帰ったもの。(現在展示されているものはレプリカで、寺院内部の博物館に保存されています)。
入り口付近、柱廊玄関のドームやアーチ部分にあるモザイク画は13世紀に製作されたオリジナルで、内部には金を多用した美しいモザイクがあります。内部で一番の見どころは、聖マルコの遺骸がおさめられている祭壇の背後にある黄金の衝立、パラ・ドーロ(Pala d’Oro)。エメラルド、ルビー、真珠をはじめとする約2000個もの宝石が使用されていて、もはや価値が高すぎて評価しきれないほど。
正面すこし離れたところに鐘楼(Campanile)があり、高さ99メートルの頂上まで登る事ができます。
かつて隆盛を誇ったヴェネツィア共和国の総督公邸で、行政の中心でもあった宮殿。
裏手には宮殿から併設の牢獄棟への橋が掛けられていて、この橋を渡る囚人が人生最後のヴェネツィアの景色を見ながらため息をついたことで有名な「ため息の橋 Ponte dei Sospiri」があります。
元々は8世紀に建てられたものですが、当時1500名を超えていた共和国評議員の収容スペースを作るために増設・改築され、現在みられる宮殿は1419年に完成したものです。
リアルト橋は本島のちょうど真ん中あたり、カナル・グランデに掛かる白いアーチ橋。
1557年に行われた公募によりアントニオ・ダ・ポンテのデザインが採用され、それまで利用されていた木造橋から架け替えられたものです。ちなみにあのミケランジェロもこの公募に参加していましたが、採用されなかったという裏話が。
下を船が行き来できるよう大きなアーチ型に設計されており、橋の上にはおみやげ屋などの屋台、商店が並んでいます。
サン・マルコ広場からちょうど対岸にみえる島で、島のほとんどが同名の教会の敷地です。
この教会の塔からは本島とカナル・グランデが一望でき、絶好の写真撮影スポット。晴れた日に行くとヴェネツィア本島を一望できるのでぜひ!
Photo Credit: Wittylama, size and trim modification applied.
本島の北東にある島で、世界的に有名なヴェネツィアン・グラスの生産地。
ヴェネツィア共和国時代に輸出製品として生産を開始したのが起源で、共和国のネットワークを通じてイスラム圏からも技術を導入し独自の発展を遂げたものです。
現在でも多くの工房があり、マエストロと呼ばれる職人が数多く居住しています。ヴァポレットやモトスカーフィで島に着くとすぐ工房見学の客引きなどが寄ってきますが、中には粗悪品を売りつけたり、発送詐欺をする業者もいるので工房選びはくれぐれも慎重に。
リド島は本島の東にあり、周辺の島の中では最大の島。
この島だけは自動車が通ることができるので、本土と島を結ぶカーフェリーも運航されています。ヴィスコンティの映画「ベニスに死す」の舞台としても有名で、毎年9月にはヴェネツィア国際映画祭もリド島内の各所で行われます。
特に夏のバカンスシーズンはビーチリゾートとして賑わいますが、冬場はクローズするホテルも多く打って変わって寂しい雰囲気になります。
1895年から2年おきに開催されている現代美術の国際展覧会で、美術、映画、建築、音楽、演劇などあらゆるアートが集結します。ヴェネツィア国際映画祭も元々はこの一部として開催されていたもの。
展示会場は本島内はもちろん、周辺の島、果てはカナル・グランデの上など、作品や作者の意向に沿っていろいろな場所に展示されます。
ヴェネツィアのオススメホテルについては「イタリア・ホテル予約&ガイド:ヴェネツィア」をご参照ください。
ヴェネツィアの歴史が記録として残っているのは452年ごろからと他のイタリア諸都市に比べると遅めで、北イタリアのパドヴァ周辺の先住民がトルチェッロ島(Torcello)に移住してきたあたりから始まります。
697年には東ローマ帝国の属国ながら自治権を持った共和国、ヴェネツィア共和国 Serenìsima República Vènetaが誕生しました。
共和国はその後1000年以上、1797年まで存続し、現在にいたるまで人類史上最も長く続いた共和国として知られています。
1204年の第4回十字軍遠征ではヴェネツィア艦隊が東ローマ帝国首都、コンスタンティノープル(現・イスタンブール)を攻略し、アドリア海はおろかエーゲ海にまでその覇権を握ることに成功しています。その直後にはイタリア半島で反対側に位置し、勢力争いを繰り広げていたジェノヴァも屈服させることで、15世紀には名実共にヨーロッパ最強の海洋国家として君臨するようになりました。
しかしその栄光もオスマン帝国の進出に押され、1538年には地中海沿岸の海外領土の殆どを失ってしまいます。また、それまで主要な収益源であった海洋貿易も大航海時代における新大陸や新航路の発見によりヴェネツィアの重要性が失われたことで衰退は加速していくことに。1797年、ナポレオンの進軍により共和国は崩壊。その後はオーストリアなどの支配を経て、イタリア王国に編入され現在に至っています。