©Yosuke Hori
ミラノはイタリア北部最大の都市で、ローマが政治の中心であるならばミラノはいわばイタリア経済の中心です。
そしてビジネス拠点であるだけでなく、ミラノ・コレクションやサローネ(国際家具見本市)に代表されるようにファッションやデザインの世界的中心地であり、流行の発信地となっています。
また、世界で最も格式の高いオペラの殿堂・スカラ座 Teatro alla Scalaや、世界的な人気を誇るサッカークラブがACミラン、インテル・ミラノと2クラブもあったりと、エンターテインメント面でも見どころがたくさんある街です。
ミラノには3つの国際空港があり、イタリア北部で最大の空港ミラノ・マルペンサ空港 Aeroporto Milano Malpensaと、ミラノ市街地に近いミラノ・リナーテ空港 Aeroporto Milano Linate、ベルガモにあるオリオ・アル・セリオ空港 Aeroporto Olio al Serioがあります。
日本からはアリタリア航空が東京/成田〜マルペンサ空港間の直行便を運航しています。
マルペンサ空港には日本をはじめアジアやアメリカ、アフリカからの長距離便と一部のヨーロッパ内の便が発着、リナーテ空港には主にイタリア国内線とヨーロッパ内の便が発着、オリオ・アル・セリオ空港はライアンエアなどのLCC国際線が発着しています。日本からイタリアへ向かう場合はマルペンサかリナーテの2つのどちらかを利用することになるケースが殆ど。
マルペンサ空港はミラノ市街地から北西50キロにあります。マルペンサ空港〜市街地のアクセスは列車、シャトルバス、タクシーの利用が一般的。
列車の場合はマルペンサ空港駅〜ポルタ・ガリバルディ駅〜中央駅、マルペンサ空港〜ミラノ・カドルナ駅の2ルートのシャトル便があります。マルペンサ空港〜中央駅は約50分、カドルナ駅〜マルペンサ空港は約40分で、どちらも30分おきに運行があります。アリタリア航空の成田便が発着する、ターミナル1に空港駅があります。
シャトルバスは数社が運行していて、以下のようなルートがあります。
タクシーは到着階の乗り場から利用可能で、ミラノ市当局(Comune di Milano)の定めた協定料金で利用することができます。高速道路の利用で料金が発生する場合は別途加算され、早朝夜間や祝日は追加料金が加算されます。必ず登録番号とライセンス表示を確認してから利用すること。
リナーテ空港は市内にあり、マルペンサに比べて遥かに近いのは魅力ですが、鉄道アクセスがなく、シャトルバスかタクシーの利用となります。
シャトルバスはリナーテ空港〜中央駅(駅舎東側のルイジ・ディ・サヴォイア広場)間をSTARFLY社とミラノ市交通局ATMの2社が運行していて、どちらも30分おきの出発ですが、ATMは月曜〜金曜のみの運行。所要時間は20〜30分程度です。また、ATM運行の市内バス73系統もあり、リナーテ空港〜地下鉄M1線のサンバビラ駅を運行しているので、目的地が地下鉄駅周辺の場合はこれも便利。
タクシーはマルペンサ空港と違う固定料金ではなく、通常のメーター料金となります。中心部まで概ね20〜30ユーロ程度。
ミラノはイタリアの中でもローマに並ぶ最大規模の街だけに、ミラノと名前のつく鉄道駅は市内に多数存在しています。その中で利用者数・発着する列車の本数はもちろん、駅舎そのものも圧倒的な存在感を誇るのが「ミラノ中央駅 Stazione Milano Centrale」です。
かのフランク・ロイド・ライトに「世界で最も美しい鉄道駅」と言わしめ、数ある世界のターミナル駅の中でも有数の荘厳な雰囲気を持つ、イタリアとヨーロッパの他の国を繋ぐ交通の要衝です。正面の建物の幅は200メートル、高さ72メートルで、24ある線路の上には全長341メートルにも及ぶ鋼鉄製アーケードが掛かっています。建築様式は様々な様式が混在していますが、ファシズムの時代に建築されたものとあって権力の象徴たる壮大なスケールの駅になっています。
ようやく長年に及ぶ大改装が終了し、1階・2階には多くのショップができました。切符売り場と荷物預かり所(Deposito Bagagli)は1階にあります。ホーム階は3階ですが、有効なキップが無いとホームには入れないので注意が必要です。
ミラノ中央駅はトレニタリア(イタリア国鉄)の管理する駅で、ローマ、フィレンツェ、ナポリ、ヴェネツィア、トリノなどを結ぶ高速列車のほか、スイス方面への国際列車も多く発着しています。ミラノ近郊路線はトレノルド(TreNord)による運行ですが、トレニタリアと同じ駅、路線、チケットを利用しているため実際に使うときにはあまり意識することはないはず。
中央駅の他、駅前が新都心となりつつありパリ行きのTGVが発着するポルタ・ガリバルディ駅(Milano Porta Garibaldi)、ランブラーテ駅(Milano Lambrate)、ミラノ・ロゴレド駅(Milano Rogoredo)などがあります。
地下鉄M2線(緑)、M3線(黄)の「チェントラーレ駅 Centrale」が地下にあり、駅前正面の広場(ドゥカ・ダオスタ広場 Piazza Duca d’Aosta)からは路面電車2・5・9・33が発着しているなど、多くの公共交通機関が利用可能です。
ミラノの市内交通は地下鉄(Metropolitana)、バス(Autobus)、トラム(Tram)、タクシー(Taxi)があります。
ミラノの地下鉄はATM(Azienda Trasporti Milanese=ミラノ市交通局)が運行する4系統と、TRENORDが運行する郊外鉄道(Ferroviarie Suburbane/Regionali)があります。市内の移動ではM1線(Linea 1 – 赤)、M2線(Linea 2 – 緑)、M3線(Linea 3 – 黄)、M5線(Linea 5 – 紫)と数字と色で分けられたATM地下鉄が主。中央駅(Centrale)にはM2線・M3線、ドゥオーモ(Duomo)にはM1線・M3線、カドルナ駅(Cadorna)にはM1線・M2線など重要な駅には複数路線の駅があることが多いので便利。基本チケット(Biglietto Urbano 1.50ユーロ)は改札後90分間有効で、地下鉄は1回のみ有効でバス・トラムへの乗り継ぎは不可。基本チケットの他、1日券(Biglietto giornaliero 4.50ユーロ)、チケットはバス・トラムと共通で、地下鉄駅の窓口、自動販売機、タバッキなどで購入可能です。
ミラノの中心部では、バスとトラムが緻密な路線網を持っているので、地下鉄が走っていない地区に行くときや、観光もかねて景色を見ながら移動したいときに重宝します。停留所によっては次にくる便の番号や待ち時間なども表示されるので、それを見つつ路線図を見れば大体どこを通ってどこまで行くのかがわかります。トラムは戦前から走る木製の車輛もあり、石畳の街を走るその姿はなんとなく哀愁漂う感じで一度乗ってみるのもオススメ。座ってしまえば安心ですが、混雑する車内で立っているとたまにスリに狙われることもあるので注意。
タクシーは台数も多く利用しやすいですが、イタリアの他の都市と同様基本的に流しのタクシーはなく、「TAXI」の看板のあるスタンドで拾うことになります。白い車体にTAXIのサインと、側面に登録番号が入っているのでひとめで分かります。料金は基本的にメーター制ですが、荷物の数や人数によって細かい追加料金の設定があり、メーターがそこまで賢くないので降りるときに表示金額と差が出ることがありますが、ボッタクリではないのでご安心を。ただし、あまりにも差額が大きいときはドライバーにしっかり確認しましょう。
ミラノの象徴で、聖母マリアに献納された世界最大のゴシック様式建築で、1386年からおよそ500年の歳月をかけて完成したもの。
135本の尖塔と聖人の像が立っていて、最も高い位置にこの聖堂のシンボル・聖母マリア(マドニーナ)が据えられていて、20世紀前半まではこのマドニーナの高さを超える建築物を建てることが禁止されていたそう。
壁面には3200にもおよぶ彫刻の数々がちりばめられていて、一見の価値あり。第二次世界大戦中は市街地が激しい爆撃にさらされる中、歴史的建造物としてドゥオーモは攻撃対象から外されたものの、ドゥオーモ前広場に落ちた爆弾でファサード近辺に被害を受け、その痕跡は未だに残されています。
屋根部分は165段の階段を上がるか、エレベーターで登る事ができ、晴れた日にはミラノ市街地からスイス国境方面の山々が一望できます。
ドゥオーモ前広場のすぐ北側、ガラスと鋼鉄の屋根で覆われている十字のアーケード。
ジュゼッペ・メンゴーニによって設計され、1877年に完成したものです。部分的にみるとあまり意識しませんが、実は建物と中心の広場は全て八角形で構成されています。ミラノ中心部で最も賑やかな繁華街で、建築学・都市計画的に見ても、近代ショッピングモールの発展の礎とも呼べる貴重なものです。
現在はプラダ(本店)、グッチ、ルイ・ヴィトンなどのファッション・アクセサリー関係のブランドショップやカフェ、レストラン、マクドナルド、CD店などいろいろな店舗があるのでウィンドショッピングだけでも楽しいところ。ガレリアの中ではありませんが、並びにはイタリア全土に展開している百貨店のリナシェンテ(Rinascente)もあります。
ブランドショップの並ぶモンテナポレオーネからほど近いブレラ通りにある絵画館(美術館)で、14世紀以降のロンバルディア派、ヴェネツィア派の主にイタリア絵画を中心に展示しています。
収蔵品としては、特にアンドレア・マンテーニャの「死せるキリスト」やジョヴァンニ・ベッリーニの「ピエタ」、ラファエロの「聖母の婚礼」などが有名。
ここを絵画館として整備したのは実はかのナポレオンで、入口からすぐの中庭にはすぐ彼の銅像(カノーヴァ作)が目に飛び込んできます。中には絵画館の他に修復工房や美術学校などもあります。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会は世界で最も有名な絵画のひとつ、レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作「最後の晩餐 L’Ultima Cena / Cenacolo Vinciano」があるカトリック教会と修道院跡。
ミラノ公フランチェスコ・スフォルツァの命で1469年に完成した教会とドミニコ会修道院で、「最後の晩餐」はフランチェスコの次男、ルドヴィゴ・スフォルツァの命によりダ・ヴィンチが修道院の食堂の壁に描いたものです。
ヨハネによる福音書13章21節の、「汝らの中のひとりが私を裏切る」とキリストが述べた瞬間の一瞬が切り取られていて、キリストと使徒たちのそれぞれのリアクションが詳細に描き込まれています。
この壁画をある一点から見ると絵画の中の壁や天井と実際の壁や天井の線が繋がり、さらに奥行きを感じさせるという高度な技が用いられています(一点透視図法)。この作品はふつう壁画で用いられるフレスコ画ではなく、キャンバスや木材などで用いられるテンペラ画をで描かれているため保存には向いていない上に、湿気の多い食堂であったことなども災いしてダ・ヴィンチ存命中から既に劣化が始まっていたとのこと。さらに17世紀の洪水や、16世紀〜19世紀に行われた未完の技法による修復、果てはナポレオン統治時代には馬小屋にされてしまうなど、なんとも不遇な扱いをされてきてしまった上、第二次世界大戦の爆撃でこの壁以外が爆撃で教会が全壊してしまうという目を覆うような惨状の歴史でした。爆撃の際は修道士たちが土嚢を積んでいたのでたまたまこの壁だけが崩壊を逃れるという奇跡を起こしています。
1977年から1999年に掛けてようやく最新の技法による修復が行われ、それまでの加筆部分の削除や洗浄によってオリジナルに近い色彩を取り戻すことに成功しました。現在は厳重な入場人数のコントロールや適切な温度・湿度調節によって劣化を最小限に食い止める努力が続けられています。
イタリアにおけるオペラ・歌劇の最高峰とされる劇場。
現在のスカラ座は2代目で1778年に「公国立スカラ新劇場 Nuovo Regio Ducal Teatro alla Scala」としてオープンしたもので、貴族や富裕層の社交場として花開き、現在もその伝統と格式の高さは失われることなく守られています。。
シーズンは伝統的に12月7日(ミラノの守護聖人の日)からとされ、翌年の秋までを1シーズンとして数々のオペラやバレエ、オーケストラのコンサートなどの公演が催されます。
2002年から2年をかけて大規模な改修工事が行われ、音響や舞台装置のレベルが格段に向上しました。座席にはモニターが設置されていて、公演中に台詞や歌詞を英語やイタリア語で読む事ができるのでより深くオペラを楽しむことができるようになりました。
演目や出演者によって料金に幅があり、初演や有名歌手の公演等はチケットの入手が困難なことも。また、特に良い座席ではそれなりにレベルの高いドレスコードが存在するので注意が必要です。
ドゥオーモの北西、ダンテ通り(Via Dante)の北端にあるスフォルツァ家の居城。
もともとはヴィスコンティ家のもので、スフォルツァ家がミラノの覇権を握った後に居城兼要塞として利用していたものです。現在では内部に美術館がいくつかあり、そのひとつ古美術博物館(Musei d’Arte Antica)にはミケランジェロ最後の作品にして未完の彫刻「ロンダニーニのピエタ Pietà Rondanini」が展示されています。
城の裏手はセンピオーネ公園(Parco Sempione)で、広大な敷地が広がっていて芝生でデートするカップルやランニングする人の姿も多いですが、夜間はひと気がなくなるので、夜の一人での散歩などは避けたいところです。
モンテナポレオーネはミラノを代表するショッピングエリアでファッション好きなら憧れの聖地的存在。地下鉄3線(黄)のモンテナポレオーネ駅で降りて地上へ上がると、ちょうどモンテナポレオーネ通り(Via Montenapoleone)とマンゾーニ通り(Via Manzoni)が交差する地点で、ここから歩いてショップ巡りをするのが便利。
またモンテナポレオーネ通りと並走するスピーガ通り(Via Spiga)やその2つをつなぐサンタンドレア通り(Via Sant’Andrea)などにもたくさんのショップがあります。アルマーニのコンセプトストアをはじめ、プラダ、グッチ、ドルチェ&ガッバーナなどイタリアを代表するブランドのショップが軒を連ねていて、その他にもデザイン家具の店や小さな雑貨屋、セレクトショップまでバラエティも豊富。
市街地の西にあるサッカー専用スタジアムで、ACミランとインテル・ミラノの本拠地。
1925年建造・8万人収容可能の巨大スタジアムで、1990年のFIFAワールドカップイタリア大会に併せて改築され屋根が設置されましたが、日光と風を遮ってしまったため、芝の状態があまり良くないことでも有名。
「ジュゼッペ・メアッツァ」はミラン、インテル両チームに在籍した名選手ジュゼッペ・メアッツァから。「サンシーロ」の名前はそもそもはこの地域の名前、スタジアムの向かいにはミラノ大賞典などが行われるサンシーロ競馬場があります。
内部はバックスタンドを除いて3階層になっていて、支柱なども無いのでどの席種からもよくピッチ全体を見渡すことができます。
試合日以外にはスタジアムツアーも催行されていて、ロッカールームやピッチサイドなどを見学することが可能。ミランとインテルの歴史を綴った博物館とグッズショップも併設されています。
ミラノのオススメホテルについては「イタリア・ホテル予約&ガイド:ミラノ」をご参照ください。
街の起源は紀元前600年頃のケルト人の街「メディオラヌム」で、その後ローマ帝国時代を通じてこの名で呼ばれていました。その意味は「真ん中」で、ロンバルディアの平野の中心にあったことから名がついたものとされています。
4世紀には西ローマ帝国の首都となったものの、その後は様々な勢力による攻撃と復興の繰り返しがの歴史が続いていくことに。フン族やゴート族の侵入を許し、都市はその都度大きなダメージ負いつつもその度に復興を成し遂げ、11世紀には宗教的なしがらみから脱却を図った貴族たちの手によって神聖ローマ帝国からの独立を果たしました。
しかしそれもつかの間の1162年、神聖ローマ帝国の攻撃を受け、それを契機として周辺都市とロンバルディア同盟を結成し、神聖ローマ帝国フリードリヒ1世を撃退することに成功。それ以降のいわゆる中世の時代にはヴィスコンティ家とスフォルツァ家による公国として比較的平和な時代を迎えることになりました。
1535年、スフォルツァ家に継承者が途絶えると再びミラノは他国の支配の時代を迎え、スペイン、ハプスブルク家(オーストリア)、そして1796年にやってきたナポレオン、1815年に再びハプスブルク家と目まぐるしく時の支配者が変わる時期が続きます。最終的にハプスブルク家支配下のミラノ(当時はロンバルド・ヴェネト王国)はイタリアの独立運動の中心地となり、1859年にはイタリア統一の旗手となったサルデーニャ王国がミラノを解放、1861年にはイタリア王国に編入されました。
イタリア王国内の一都市となってからは特に工業・経済の中心的な役割を担う都市として発展しましたが、そのせいもあって第二次世界大戦では連合国軍の激しい爆撃を受けることになり、都心部の建築物の43%が破壊されました。